スターともなれば、様々な企画が上がり、様々な出演交渉がある訳だが、人間、誰でも体はひとつ。企画が重なった時や、また、ウマの合わないスターとの共演、嫌いな監督・プロデューサーの作品、或いは、その時・その時の自分の体の調子や、私事等々、諸々の事情により、出なかった映画、製作されなかった映画があるのは当たり前。当然ながら、出なかった映画には、他のスターが出演して完成されたものもあるが、中には、この世に生まれ出なかった作品、企画だけに終わった映画もある。

そこでこのコーナーでは、過去、イーストウッドが出演する予定だった映画で、結局出なかったものや、企画倒れに終わった映画、或いは、イーストウッド自身が長年の構想を持っているにも関わらず、なかなか実現しない映画など、そういった、イーストウッドにとってのボツ映画を集めてみました。

 

その1.『素晴らしき無法者たち』

1966年、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』と、2本のマカロニ・ウェスタンを大ヒットさせたイーストウッドの元へ、またまたレオーネ監督から出演依頼があった。それがこの作品で、アメリカの歴史を壮大に描く西部劇大作となる予定で、共演はカラミティ・ジェーン役にソフィア・ローレン、ワイルド・ビル・ヒコック役にスティーヴ・マックィーンが予定されていたが、予算超過が理由で、結局は流れている。

その後この企画は、アイディアの一部が次なるレオーネ作品『続夕陽のガンマン/地獄の決斗』に活かされた他、当初の『夕陽のガンマン』に採用される予定だった案などを取り入れて、1968年、レオーネ監督作『ウエスタン』として完成。主演は、当初の『荒野の用心棒』の主演に予定されていたチャールズ・ブロンソン。

 

その2.とその3.『グラミーナの恋人』と『ドルの河』

イタリアの大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティース製作によるこの2本の企画もまた、予算の都合がつかず、流れてしまったものだが、その代わりとしてラウレンティースは、奥さんでもあったシルヴァーナ・マンガーノとの共演作として、オムニバス艶笑コメディ『華やかな魔女たち』の出演にイーストウッドを招いた。

 

その4.『エル・グリンゲロ』

1967年5月、アメリカで初めて公開されたイーストウッドの主演作『続夕陽のガンマン/地獄の決斗』が大ヒットする中、アメリカに帰っていたイーストウッドの元に、またまたイタリアから出演交渉の声が掛かった。それがこの『エル・グリンゲロ』という西部劇。監督には、アメリカから招かれたクラレンス・ブラウン(『緑園の天使』や『仔鹿物語』の名匠)が予定されていたが、もうイタリアで映画に出るつもりはなかったイーストウッドは、これを断り、結局この企画は流れた。

 

その5.『レッド・サン』

1970年5月、ドン・シーゲルとの2作目『真昼の死闘』の撮影が終わった直後のイーストウッドは、フランスのプロデューサー、ロベール・ドルフマン製作による西部劇『レッド・サン』への出演交渉を受けた。その時点では監督にサム・ペキンパー(!)、共演に三船敏郎だけが決定していたが、ほぼ同時に、友人でもあるブライアン・G・ハットン監督の新作『戦略大作戦』への出演依頼も受け、ハットンの前作『荒鷲の要塞』を気に入っていたイーストウッドは、『レッド・サン』を断念した。

後に『レッド・サン』は、テレンス・ヤング監督、チャールズ・ブロンソン、三船敏郎、アラン・ドロン主演で完成したが、もし最初の企画通りに完成していれば、ペキンパーとイーストウッドによる初のコラボレーションが誕生した他、日米の用心棒スター夢の共演も実現していた所で、これはかなり観たかった気がする。

 

その6.『対決』

1971年の初夏、初監督作『恐怖のメロディ』を撮り終えたイーストウッドに、ユニヴァーサル映画から舞い込んだ企画がこの映画。監督が『大空港』のジョージ・シートン、共演が『リオ・ブラボー』のディーン・マーティンという西部劇だったが、ワーナー・ブラザースからもフランク・シナトラやジョン・ウェインか降りた後の『ダーティハリー』の企画が来ており、シーゲル監督(これはイーストウッドが指名した)との現代劇(刑事アクション)での可能性を見出したイーストウッドは、ユニヴァーサルからの企画を断っている。

後にこの映画は、イーストウッドの代わりにロック・ハドソンを迎えて73年に完成、日本では75年に公開されたが、時代遅れも甚だしい、退屈な映画に仕上がっていた。

 

その7.『地獄の黙示録』

1975年秋、『アイガー・サンクション』を撮り終えたイーストウッドに、フランシス・フォード・コッポラ監督から舞い込んだ企画。この映画には、当初、スティーヴ・マックィーンやジーン・ハックマンなどもオファーされていたが、ギャラの問題や撮影期間が延びた事などで、みんな出演を断っているが、イーストウッドも、当時は『アイガー・サンクョン』の疲れが残っていた(撮影は命がけだったから)のと、後、家を新築したてだった為、そこから動くきたくなかったという事もあり、断っている。

結局映画の方は、先程のトラブルなどがあり、撮影は延びに延び、やっと79年に完成。それを思うとイーストウッドは、「出なくてよかった」と述懐していたが、しかし、もし出演していたら、果たしてどの役だったのは、興味はある。おそらく、完成した作品ではマーティン・シーンがやったウィラード大尉役だったのではないかと思われるが、その後、マックィーンにも、同じ役でオファーが行った事を思うと、コッポラの最初の発想では、当時のアクション・ヒーローたちに、その役を演じて貰いたかったようだ。

 

その8.『スーパーマン』

お馴染み、あの『スーパーマン』である。有名なアメリカン・コミックスの映画化で、既に知名度も認知度も高い、このコミック・ヒーローの主役には当初(1978年)、ロバート・レッドフォード、ジェームズ・カーン、ポール・ニューマン、チャールズ・ブロンソン、スティーヴ・マックィーンなど錚々たる面々にオファーがあり、イーストウッドもその中の一人だった訳だが、全員、イメージが合わないという理由で、降りている。

代わって、主役スーパーマン(クラーク・ケント)の座を射止めたのは、当時はまだ新人同様だったクリストファー・リーヴで、『スーパーマン』は、その年の全米公開作のナンバー1のヒット作となった。

因みにイーストウッドは、同じ年、スーパーマンに匹敵(?)するヒーロー、トラックに乗ったケンカ野郎・ファイロ・ベドーが活躍する『ダーティファイター』に主演。全米興行成績でも、『スーパーマン』に匹敵(まさに!)する第2位のヒットを記録、ワーナーは笑いが止まらなかったという。

 

その9.『野獣捜査線』

1985年、監督・主演作『ペイルライダー』を撮り終えたイーストウッドの元に舞い込んだ企画。脚本を書いたのは、デニス・シュレアックとマイケル・バトラーという、『ガントレット』を書いたコンビで、『ペイルライダー』も、彼等の脚本であったが、お馴染みのスーパー刑事役に嫌気がさしていたイーストウッドは、これを却下。企画はそのまま、当時の売れっ子アクション・スター、チャック・ノリスの所へ持ち越され、直ぐさま映画化。イーストウッドを師と仰ぐノリス・アクションの中でも、頗る出来のイイ作品となった。

尚、余談だが、監督のアンドリュー・デイヴィスは、シカゴ出身という事もあり、この映画の舞台をシカゴにしている他、セガールのデビュー作『刑事ニコ/法の死角』、そしてハリソン・フォード主演の『逃亡者』でも、やはりシカゴが舞台となっていた。

 

その10.『リベンジ』

1988年に、コロムビア映画から、オファーがあったアクション映画。元パイロットが、上官の妻と不倫の恋に落ちてしまった為、上官によってリンチに遭い、妻共々瀕死の重傷を負わされた主人公が、やがてその上官と対決し、復讐を遂げるというストーリーは、まるでかつてのマカロニ・ウエスタンを思わせるものがあり、だからイーストウッドに声が掛かったのだろうが、全く興味を示さなかったイーストウッドは、当時コロムビア映画に映画化権があったチャーリー・パーカーの伝記映画『バード』の方に興味を示し、交換条件という形で、『バード』の映画化権を手に入れた。

イーストウッド自らの手で、13本目の監督作品として映画化された『パード』だが、その2年後の1990年、『リベンジ』の方も、トニー・スコット監督、ケヴィン・コスナー主演で完成された。後に『パーフェクト ワールド』で共演するイーストウッドとコスナーの、これは、ほんのちょっとしたニアミスだったという訳だ。

 

その11.『ダイ・ハード』

今から思うとウソのようだが、本当の話である。渾身の1作『バード』を撮り終えた頃に、出演依頼があった。原作はかなり前に書かれていたものだけあり、イートウッド自身としても、どのような映画になるかは、ほぼ見当がついていたと思われ、『バード』の後だけに、疲れていたという事もあったのか、出演しなかった理由が、「過激なアクションは出来ない」というもの。残念といえば残念な事で、もし出演が実現していたら、イーストウッドの新しい面が拓けたと思うところだが、しかし、逆に言うと、いつものハリー・キャラハン的なスーパー・ヒーロー映画になってしまい、あそこまで面白くなったかは、疑問が残るところだ。

結局、完成した映画を見る限り、ブルース・ウィリスで大正解だった訳だが、これの後すぐにイーストウッドが出演したのが『ダーティハリー5』だったというのには、これまた大いに疑問が残るが、本人曰く「ワーナーから頼み込まれたから」という事で、確かに当時、ヒット作に恵まれていなかったイーストウッドにとって、久々の大ヒット作(映画の出来はともかくとして)になった。

因みに、これまた後の主演作『ルーキー』では、何故かアクションだけは『ダイ・ハード』を意識したような作りになっていたのは偶然だろうか。

 

その12.『バージニアン』

これは、イーストウッドが長年暖めていた企画である。オーエン・ウェスターのベストセラー小説で、既にハリウッドでは、4度映画化されている西部劇のクラシック作品。3度目のゲーリー・クーパー主演、ヴィクター・フレミング監督の『ヴァジニアン』、そして、4度目のジョエル・マクリー主演、ステュアート・ギルモア監督の『落日の決闘』が有名で、テレビ・シリーズにもなった作品だが、イーストウッドは監督業を始めた70年代から、ずーっとこの映画化を夢見ていた。

その後、『荒野のストレンジャー』『アウトロー』『ペイルライダー』『許されざる者』と、自身の監督で作られたウエスタンは4本あるが、未だに『バージニアン』映画化には至っていない。「これが最後の西部劇」と語られた『許されざる者』が世に出た以上、イーストウッドによる西部劇は、もう観られないかも知れないが、ゲーリー・クーパーやジョエル・マクリーに次ぐ西部劇スターとしては、是非実現して欲しい1本であった。今後の展開や、如何に?

 

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